28歳で起業して会社を作った結果は?大成功とは言えない独立の話【 倒産の話 】

かじ

 

ふくろう
ふくろう

企業や独立ってのは、そんな甘い事じゃないですね。

正確には独立はそうでも無いんだけど、組織化したり、私は違ったんだけど結婚していたりすると大変だね。

どちらにせよ、収入が安定しないってのはそういう事だよね。

今回で最後になるね。
日本全国を悩ませる出来事が起きるなんてね。

 

 

☑本記事の内容

1.年末の状況と年始の閑散期

2.徐々に迫りくるコロナウイルスの波

3.崩壊の始まりと完全に何もなくなった日

1.年末の状況と年始の閑散期

 

前年はなんだかんだで忙しかったって感じだったんだけど、1年の間で一瞬で希望と絶望が訪れたんだよね。単純に拡大に失敗したってだけなんだけど。

失敗してしまえば簡単のすべてを失うんだなって思ったな。何より失敗が怖くなってしまったな。いろんなものを失ったな。

たくさん失って気づいたこともある。けど、まだ私についてきてくれている協力者がいる。精神的に落ち込んでも。まだ自分にはやらなきゃいけない事があった。そんな話。

 

a.年末から年始にかけては安定した依頼

 

年末から始まった依頼があった。これはかなり大口の依頼でもあった。週5日で5カ月間という期間。これには、助けられた。正直後輩の受けれる依頼はそれほど多くなかった。

金額もそれほど安くもないし、安定した給料を支払うことができたので一安心だった。

年末に関しては、元店長も多く依頼を受ける事もできていた。長期の出張もあったし、珍しくよくご飯も食べに行ったし飲みにも行ったな。

今までお互いに親しき中にも、いまいち腹を割っていなかった。この頃から徐々にだが、お互いの事も話すようになっていった。

 

b.年始は基本的には閑散期

 

イベント業界は、年始は基本的に閑散期だった。とにかくイベントの類が少ない。年始なんてそもそも働いてる人が少ない。

1月というのは、業界全体でも本当に退屈だ。日本全体がゆっくり動いてる月と言っても過言じゃないなって感じた。

この頃は、後輩は昨年から続く案件を繰り返し行っていた。しかし、閑散期という事で稼働日数は少し減っていた。後から聞いた話だが、この頃に後輩は、いろんな仕事を私に隠れて始めていたりもした。

自分には別に関係ないと言えばないが、給料に対する不満を口にすることがあったし『 つまらない 』って口癖のように言っていたから不安でもあった。

この時点では、自分では言いとどめる事も出来なければ、好きにすればいいと思っていた。感覚が合わなくなっていたりもしていた。

関係性の考え方かな。特に感じたのは上下関係についての考え方でもあるな。

 

c.不満は唱えるものなのかな?

 

人間関係と人材育成に関しては、今まで生きていく中でもいろんな経験をした。いろんなパターンもグループ分けも出来た。このパターンにはこの対応。ってようにもすみ分けしたかった。

それでも、今の時代では不満の行き所がおかしくなっているような気がする。

そもそも決まり事に関しての不満を持つことは良いのだ。【 わがまま 】【 主張 】をはき違えてはならないのだ。

そもそも【 弱者が守られすぎている 】っていうのを感じるべきだ。弱者というのは単純に立場の低い者をいうのだが、今の時代では弱者ではなくなりつつある。

【 パワハラ 】【 ブラック企業 】とかの言葉が浸透しすぎて何につけてもその言葉がちらつく。世の中をなめているような使い方をしているケースも存在する。

部下の質問には、真摯に答えなければならない風習もある。会社員をしていると普通の事である【 会社の為に利益を出す 】って事を熱意をもって伝えると『 ブラック企業思考 』のような印象を与えてしまうような精神性になりつつある。

それに、【 パワハラ 】っていうのに怯えている。この環境は何も生まないと思っている。

 

今後は、部下から上司に向かってのもパワハラっていうのもそろそろ出てくると思う。状況でいうと、ゆとり世代が始まり起きた【 教師に対するいじめ 】とかとほとんど同じかな。

一度会社に入ってしまえば、ほとんど辞めさせられる事もない。辞めさせられにくいという状況を従業員が逆手に取ってしまう事が起きるのも時間の問題かなと思う。

上司の方から主張できる環境も必要よね。今の世の中は、上司に対して部下がレッドカードを持っているようなものだけど、部下に対してイエローカードみたいなものも簡単に使えるようにしていってほしいけどね。フェアじゃないよね。

 

ある程度の社会経験を踏んでいる方ならわかると思うけど、ある程度勘違いした部下が『  なぜこの仕事をするのか? 』のようなことを言う部下が出てきたことあるだろう。

その仕事が利益につながるプロセスを説明するのが正解なのだろうが、『 効率悪いのでこうした方がいい 』のような反論を受ける事もあるだろう。

その話の終わらせ方は、

【 その話題について徹底的に話す 】

【 部下をなだめてとりあえずその場を流す 】

ってのが相場だと思う。

ぶっちゃけ一番簡単な回答は「 うるさい。文句があるなら出世して自分で変えろ 」だと思う。

 

もっとシンプルに自分の役割を理解して、会社に対しての不満とか会社の方針を変えたいのであれば【 会社のやり方で出世して自分で変える 】っていうのを義務教育で指導してほしいな。

 

話はズレすぎているけど、仕事に対する考え方というのはズレると一緒に働くのは難しい。苦しいのだが上司が働きやすくなる教えっていうのも、今後の世の中では必要となるはずですね。

部下の状況を変えれるような発言力のある著名人が、【 部下とはこうあるべき 】みたいなビジネス書を書いてもらえないかな。

 

2.徐々に迫りくるコロナウイルスの波

 

記憶に新しいね。このコロナウイルスの波はいろんな業界に激震が走ったね。大企業が大規模な借り入れとかもしたり、小さな企業が軒並み潰れたり、外出規制に潰された会社も多くあった。

そんな中で1年間伸びたり、伸び悩んでいたりした程度の組織はどうなったのかな?ってそんな話

 

a.ある日イベントが中止になる

 

コロナウイルスの波が初めてイベント業界に影響を出したのは、2月の中旬だった。

具体的には波はあったのだが、大きく影響が出始めたというのがこの辺りからだったな。あるイベントが中止になった。地域になじむような子供向けのイベントだったが、しょうがなかった。

この状況で中止になるってのは世の中では、普通な事だった。中止になったことも違和感はなかった。被害が受けたのはとりあえず自分だけだった。だからあまり何も感じなかった。

ここから大衆向けのイベントはどんどん中止になっていった。地域のイベントもそうだし、企業が企画しているイベントも軒並み中止になっていった。

ちなみにアーティストのライブもこの頃から中止になっていった。

 

そうなってくると、私たちは仕事がない。働くところがないのだ。どんな人材でも、とにかく仕事がないのだ。過去に感じたことのない絶望感を味わった。

今まで苦しかったら少なからず努力した。必死に営業をかけたりもしたし、いろんな人とも会いに行った。

今回は違った。どこに行っても、誰に連絡をしてもダメだ。もちろんこの頃に積極的に営業とかも出来なかった。人と会うという事が禁止されているという流れがあった。

本当の意味でギブアップだった。どうしていいのかもわからないし、精神的に崩れた。協力者の2人にも与える仕事がなくなってきた。

 

b.徐々に進む世界的イベント

 

しかし、この時にはまだ希望の光があった。

そう。あの世界的なイベントだった。このイベントだけは、最後の最後まで中止になるか決めかねていた。日本の流れでは、【 中止にしたくない 】というのが本質だったと思う。

実際に、自分達にも「 中止にはできないだろう 」という雰囲気もあった。準備にも大金を使って研修は行われていた。何度も何度も研修があった。日本全国からスタッフを集めるだけでも数十万円とかかるはずだが研修は継続して行われていた。

 

このイベントは開催まで4カ月の間で継続して行われるものだった。自分と元店長の2人で参加予定だった。何度も何度も行われる研修に少し安心していたのもあるが、不安に押しつぶされそうなところもあった。

その他のイベントは残らず全て中止になっていた。

 

c.よぎる不安と最悪のイメージ

 

徐々に不安が重なりだした。このままでいいのかもわからなかったが、この状況を打破するイメージは湧かなかった。逆にこの頃になると最悪のイメージは簡単に出来るようになっていた。

この1年はいろんなことがあった。ポジティブだったりネガティブだったり。

自分で自分の事を考えてみたが、基本的には【 前向き 】な性格であると思う。どんな時も諦めずに前を向いて進むタイプだと思う。

 

未来のイメージをするときには、【 ネガティブなイメージの方がはっきり見える 】というのが現実だった。それはそうだ。

イメージする時にはっきり見えるのは、【 過去に経験したことがある事 】だった。ポジティブなイメージは出来るけど、ふわふわしている。ただのイメージだ。

しかし、ネガティブなイメージはしっかりできる。上手く行かない時のイメージは経験したことのない事でも、圧倒的にはっきり見えるのだ。

恋愛とかで置き換えてみるとわかりやすいだろうけど、

告白成功のイメージと告白失敗のイメージは、告白が失敗するイメージの方が強いだろう。

人間ってのはつくづく弱い生き物だな。

 

3.崩壊の始まりと完全に何もなくなった

 

少しの希望を残して、苦しんでいる時だったかな?最大50日で1日しか仕事がない状況だったな。過去最大の地獄だった。徐々にやる気も無くなっていたし、この時期はモチベーションの維持が一番大変だった。

ただ辞める事も出来ないって感じだった。

 

a.イベントがなくなるペース加速

 

3月になるころにはイベントがどんどん無くなったな。開催されているイベントなんてのはあったのかな?ショッピングモールや大型スーパーマーケットのイベントは少しあったが、徐々に中止になっていった。

そりゃもちろんそうだ。お客さんのいない所でイベントをやったとしても意味をなさない。自分でもイベントなんか開催しないなって思うほどだった。

翌週のイベントが中止になるのは、少し当然のようになっていった。面白いもので続けば続くほど慣れてくる。面白いよね?自分に対してもネガティブな事なんだけど、受け入れるのが簡単になっていくんだよね。

キャンセルに対する対価が発生してくれればいいかなって少し思うぐらいの状況だったかな。協力者も毎度のように残念がっていた。その時の心境だと自分よりも協力者の方が、希望を捨てていなかったのだと思う。

自分の方が先に諦めていたのかもしれない。

 

b.全員仕事がなくなり始めバラバラに

 

3月の仕事が激減したのはもあり、後輩は居酒屋でのアルバイトを始めていた。自分には秘密にしていたようで、後日聞かされた。

別にしょうがないからなんにも言わなかった。単純に逆らえないな。そんな中でも少ない仕事でもやっていてくれてはいた。

コロナウイルスの影響で今は仕事がない事もわかっていたと思うが、その後は何も言わなくなった。日常的に連絡も取ってはいたが、その頃には連絡も取らなくなっていた。

 

さらに、希望でもあった世界的なイベントの方も開催ができないという雰囲気も出てきた。日本の全体的な雰囲気はどうだっただろうかな?

自分たちの中では、五分五分だったかなって思っていた。実際は願いの方がでかかった。中止にならないでくれ。と祈っていた。

実際にイベント開始の前日まで開催が決定していなかった。これは実話。

明日からスタートするけど、開催が決まっていない。そうなると全員の意識はテレビニュースになる。記憶にないかもしれないが、明日から開催という中で、20時から電話会談が行われる予定だった。

テレビから目を離すことなくずっと見ていた。ついに決まった。1年間の延期ということが決まったのだ。

中止とか明日からの動きの連絡より先に仕事が1年後になった事を知った。その日は、とにかく協力者と電話するしかなかった。

 

c.すべてのイベントが中止で無職

 

『 1年後に延期になりました。今後に関してはまた後日連絡します 』という連絡がきた。もうみんな知っていた。日本国民全員知っていたんじゃないだろうか?

何を考えていいかもわからなかったな。今までずっと休みだったが、これからも休みになると正式に決まった。

 

この時期をきっかけに、全ての協力者と自分は職を失った。もちろん一時的なものでもあるとは思うが正式な無職だった。

最後に協力者と話したのは、お好み焼き屋だった。二人で飯でも食べながら、今後について話した。

お互いに何の話になるかわかっていたし、最後の確認をする為にあったという認識もあった。

自分は「 数カ月の間は派遣で工場員になろうと思う 」と伝えた。元店長も『 行けたら自分も行く 』と意思表示してくれたが、結局はいろいろ考えた結果地元に残ることになった。ある程度普通にバイトしていくことになった。

 

2年前にイベント業界に片足を突っ込んで、2年の間に多くのことがあった。

悲しい事もあったが、それを超えるほど楽しい事もあった。すべてを含めて必要な事はある程度分かった。経営の難しさもわかった。本当に難しいのはこれからなのだろうけど。

実際にコロナウイルスさえなければ、続けていくことはできたがそればっかりは運が悪かった。

 

んーとね…いろいろあったけど、今後も人生が楽しみだわ。

 

 

ふくろう
ふくろう

といった感じで、後半もこれでおしまい。独立から企業してコロナウイルスに潰されたって話。借金とかもないしどちらかというと儲けたかな。

人生もまだまだ半分も終わってないはずだから、これからの人生楽しんでいけるように日々精進していこう!って話だよ。

 

 

 

 

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