
前回は、苦労したけど順調に拡大したところで終わってたかな。てか、ここまで気になって読んでくれた人っているのかな?
ここからの話は本当に思い出したくないな。けど、ここが基本的には大事な精神的な事なんで思い返しながら書いてくよ。
☑本記事の内容
2.進まない案件と減っていく仲間と信頼
3.今後の行方と経営方針を再度考察
1.低単価とスタッフの教育不足
今回の見出しは、何となくマイナス要素が多いと思うが、この時点では経営自体は順調だった。
ここで、経営というものを体験することになった。会社員をしていた頃に自分が最も得意と思っていたことができなかったのだ。【 金の切れ目は縁の切れ目 】ってのはよく言ったものだ。
小規模ではあるが、経営でこれを感じる事ができたことは大きなものだと思う。そんな話。
a.繁忙期に入ってきたスタッフが不安定に
8月は忙しかった。とにかく毎日いろんなスタッフも働いていたし、自分自身も多くの仕事に臨んでいた。ただ忙しかったのは大型の依頼を獲得できていたからってだけの話だった。
その時点で違和感には気づいていたが、秋には大型スポーツイベントもあるしなって勝手に思ってた。少し舐めていた。
9月になって一気に仕事が減った。今思えば面白いぐらい減ったなって思う。売上でも1/3ぐらいだったかな。たまたま見つかった大型の依頼もあったが、途中で打ち切りとなってしまった。具体的には3カ月規模の依頼が2週間で終わった。
それもしょうがないってのもある。業種的に当然に正社員雇用ではないのだ。依頼が出てから数日で始まる依頼ばかりだし、まともに契約書を交わす事の無い依頼ばかりだ。
ある程度の大きなキャスティング専門の会社でも、ほとんど金額の契約をほとんど水に流してくる。例えば、夏に台風で依頼がなくなったとして、もちろん台風なんて前日までわからないので前日まではスケジュールを抑えられてる。
そんなとき、電話での連絡で『 台風で中止になったが、キャンセル費は交渉しますので 』って言われる。そんなこと当たり前だと思う。本来なら中止になった段階で『 キャンセル費はお支払いします 』が正しいと思う。それから金額の交渉を当事者同士で行うものだ。
しかし、現実は違う。流れはイベントが中止になると、広告代理店が主催者にキャンセル費用を交渉する。その為、一つ一つのイベントにキャンセル費用が定められていない。よって、代理店ごとにキャンセル費用が変動する。
前回の記事を読んでもらえるとわかるが、いろんな会社が影響してくる。それにより、交渉が決まるのは非常に遅くなる。キャンセル費用の設定が2カ月後とかになる可能性も大いにある。
ここで!大事な事だから言うと、間に入ってくる中小企業は【 全員ダサい 】のだ。イベントの中止と言えど、キャンセル費用の請求なんて0円の可能性なんてない。交渉ができる立場であれば、先に支払うべきだと思ったし思っている。
実際に自分自身はキャンセルになった段階でキャンセル費は、スタッフに明確な金額を決め支払っている。この時点では、まだキャンセル費の金額は決めていない。まぁ当然かと思う。普通にイベントが開催された場合、彼らから利益を取るのだから。
依頼してくる会社も外注先からは、利益を取るわけだから契約書の有無に関わらずスパッと金額を定めるべきだと思っている。しかし業界的にそれでは生きていけない。
そもそも【 便利である 】というのが、このキャスティング会社の定義で存在価値でもある。例えば、キャンセル費用ぐらいでガタガタ言ってくる面倒な会社って印象を受けると依頼が激減する。下手すると、付き合いがなくなったりする。今考えても変な業種だな。
似たような会社ががたくさんあるから、しょうがないけどね。
話は少し脱線したが、いろんな事があって増えたスタッフ全員に依頼が行き届かないようになってきた。
そうすると、少しずつスタッフの気持ちが離れていってしまった。その時は今考えると、関係値のみでつながってるって感じだった。
b.依頼を探すがスタッフの能力と見合わない
うまくいってない。そんなこと言ってもしょうがないので営業もした。いろんな会社に依頼をもらえないか聞いて回った。
時期的にあんまり忙しくないというのもあり、9月は想像以上に暇をした。
この頃になって少しずつ気づいてきた。人材が必要ってのも多くあったが【 優秀な人材 】である必要があった。この時からかな?依頼が人を選び出した。
特に暇なシーズンは優秀な人材でないと依頼が無いのだ。優秀と言っても、大したことではありません。ある程度キレイな見た目で、きちんとした受け答えができ、最低限の責任感があればそれだけで、まずはなんとかなります。
8月に参入してきたスタッフは能力が足りないのです。それはもちろんそうです。明後日から出張出来る?みたいなスケジュールの確保ができるような人材です。フリーターもしくはニートで、20歳前後。
当然優秀な人材ではありませんでした。なんか嫌な奴に見えてると思うんで言っとくけど、彼らの事は嫌いじゃないからね?
大型の依頼も来たのだが、ほとんど彼らでは通用しないような案件のみだった。非常に残念だが、今までの案件を少しずつ与える程度しかなかった。
c.見つかる案件は低単価で不満が
スタッフには満足のいく案件を与える事ができてなかった。勤務日数が少ないというのもあったし、単純に彼らの収入が少なかった。
ちなみに彼らは、大型依頼で年間の仕事を獲得する要因でもあった。通信系の仕事を獲得しようと頑張ってくれている会社があったからだ。長期の案件であれば、それほど能力を求められない。
しかし、そちらも交渉が上手くは言っていなかったのだ。本当は『 夏過ぎから獲得できるのではないか? 』と思われていたが、『 年内には獲得できるかも? 』ぐらいになっていた。
もちろんスタッフには、開始時期などの説明は自分からしてはいなかったが、協力者の後輩には、随時詳細に報告していた。後輩がなんて伝えていたかは、今の所わからないが何となく裏切られているような印象を持たれている気がしていた。
2.進まない案件と減っていく仲間と信頼
うまくいかないと思っていると精神的に弱くなってくるもんですな。【 病は気から 】というが、本当にその通りなんだな。
まともな決断も今考えるとできていなかった時期でもあったのかな?っていうのも思っている。
そんな時期の話。
a.不信感を消し去りたくて
なんだか【 話が違う 】【 詐欺師 】のように思われていたなって感じ始めたのだが、そのように思われている事は本当に苦痛だった。
被害妄想が始まり依頼を探す。依頼は見つかるが、スタッフが見合わない。また別の依頼を探すが、やっぱりスタッフが見合わない。ってループが始まった。
本当に負担だったし、苦痛だった。そんな中今まで受けていたクレジットカードの営業の依頼もあったのだが、その頃からスタッフから『 クレジットカードの依頼は安価だし嫌だ 』といった声も届いた。
今考えれば、何ふざけたこと言ってるんだ?とも思えるが、当時はなぜか「 そうだよね 」って思って共感していた。今考えても思考停止していたな。
ってなると、働かせてあげる事も出来なくなっていくんだよね。そうなるとさらに不信感が加速していったなって当時は止められないループに頭を悩ませていた。今まで気にしたことなかったけどこの時に初めて白髪染めをした。
b.去り行く人と人間関係が崩れる
そんな日々を過ごしたが、10月になったぐらいでスタッフの内の2人が普通に就職すると言い出した。それを止めるつもりもなかったし、誰にも言えなかったが心の中では応援もした。
正直その頃になると精神的に苦しくなっていた。彼らに見合う依頼を探してあげれない。自分の力不足なのは大前提だが、彼らの力不足も大前提だと思い始めたのもこの頃だった。
お互いの力不足を大前提にしたとしても、見つけてきた依頼の金額が気に食わないからか現場での評価が低い。見つけた現場を彼ら自身で無くしてしまったっていた。
そうなると、また彼らのレベルに見合った依頼を探さなければならなかった。しかも、彼らの不満が後輩か私に届けられた時には、『 彼らに報酬を満額上げてほしい 』と申し出があった。
そんなのもちろん【 NO 】だ。なぜ無利益どころか、営業で人と会うだけでも交通費も場所代もかかるというのに。むしろ彼らの為に働くことで赤字になっていく。受け入れる理由がないのだ。
そんな中で2人が去り行くのは、2つの感情があった。
【 満足な生活をさせてあげれなくてすまない 】
【 少し肩の荷が下りてほっとした 】
といったところだ。【 人としての気持ち 】と、【 組織の代表としても気持ち 】の違いといったところだろうか。
c.協力者からも直接的な不満が浮き彫りに
その後もスタッフが去っていくのは止まらなかった。その後、与えた仕事に行かないという事件を起こして連絡がつかないスタッフが2人立て続いた。
1人目の原因は、何となくわかっていた。基本的な【 ぶっち 】というやつだった。彼自身も不満が溜まっていたのだろう。彼を責めたりはしなかった。
2人目の原因は、単純にお金がないってだけだっただろう。ただ、その悩みを直接言ってくることはなかった。自分で勝手に金がなくなって、自分で勝手に沈んでいったと思ってる。
古くからの知人というわけでも、協力者からの紹介というわけでもなかったので、さみしい気持ちと残念な気持ちに悩まされた。
そんな時期になって、この頃から協力者から直接的に不満を耳にしだした。大枠でまとめると『 つまらない 』っていう事だった。この気持ちは理解もしてあげれなかったし、共感をすることも出来なかった。
仕事であるのは大前提だが、一緒に夢を語った人に夢の途中がつまらないと言われたのは想像以上に心が折れた。本人は悪気も攻めるつもりもなく言っていたのだろうが、それを聞くと、どうしてあげればいいのかもわからなくなった。
そんな毎日楽しく生活できるわけないだろう?基本的に辛い生活をするんだよ。その中で、自分でやりがいや楽しい時間を作っていくんだよ。って思ってはいたけど、言えなかった。
面白くないのは自分も同じだというのを理解してくれていると思っていたが、そこの相違は大いにあった。よく言うバンド解散の理由となる【 方向性の違い 】ってやつだよね。
3.今後の行方と経営方針を再度考察
事業拡大に伴い苦痛の日々を送ることになったが、自分の甘えた考え方が全てを招いたのだった。精神を共有することは、何よりも難しい。
自分の熱量などは届きやしない。何よりも共に働かずに教育するという事の難しさ。とにかく経営というものを骨身に染みるほど感じた。世の中の社長たちってほんとにすげーや。
って事でそんななかでも、多くの学びはあった。って事で、経営方針というのを考えなおしながら年末を迎えた時の話。
a.仲間一人も゛…!!!救えな゛い゛…!!!!
これは、ある有名な海賊に感情移入したセリフだな。なんというか事業が傾いた時の人の去り方がこのシーンの感じだった。
どんどん人がいなくなっていくのに何もできない。もちろん人格的には思う事もあったが、原則人のせいにするつもりは微塵もない。
単純に自分の実力不足が招いた結果だと思ってる。最初の記事から読んでくれてる人はわかると思いますが、最終的にイベント関係に携わっていたけど、【 イベント業は初心者 】って事だ。
この致命傷は、全てを無くすまで気づけなかった。もてはやされて調子に乗っていただけだった。
こんな単純なことだが、起業するなら
【 その業種のプロであるべき 】
って事に気づかされたのは大きかったな。昔から器用でなんでもできたことが仇になった。器用貧乏ってこういう事かと体感できた。
協力会社も少ない。
誰でもいい案件ばかりこなす。
単価も上がらない。
立場も変わらない。
なんでかって?
単純に積み上げてないからだ。その業界にも付き合いだけで【 癒着ご飯 】を食べている経営者はたくさんいる。
その人らは積み上げてきたのだ。若い頃からやりたくないことでも文句も言わずに、人生を使って少しづつ少しづつ積み上げてきたのだ。
そんな世界でパッと出の若造なんかが通用するわけがないのだ。一生懸命頑張ろうと、アピールできるだけアピールしても、足りないのだ。時間を使って積み上げてきたものに勝てないのだ。
これから少しずつ積み上げながら、徐々に拡大していくという決意を固めた。
b.大企業が大金を使って就活する理由がわかった
ある時、飲食業時代の話を思い出した。地元の2つ上の先輩に消防士の人がいた。
その人は、当時に運動神経バツグンでIQ140という化け物だった。地元でも神童のような人であった。
その人に当時の悩みであった【 やる気のない従業員の育て方 】というのを、相談したことがあった。事業の途中で従業員の力不足を感じている頃に思い出したのだ。
先輩の回答は、
『 やらせたいことを明確に伝えろ。それ以外は、特に何も必要ない 』と言われた。
言ってることはわかる。しかし、何となく腑に落ちない。って印象だった。
その時は、何も感じていなかったが従業員を失った時に急に解決した。ある程度のポテンシャルやモチベーションがない従業員には教育などできないのだ。
自分の地元は田舎で消防士というのは、人気職である。公務員志望の高校生や大学生の花形になるのが消防士なのだ。採用倍率も不人気の地方でも当時は50倍、人気な地域の場合は200倍にもなるほどの仕事だ。
わかりにくいかもしれないが、採用倍率が200倍ってのは、1000人受験して5人って世界だ。995人に勝たなければならないものすごく狭き門なのだ。
当然入ってくる人材は超優秀。その仕事は夢で子供の頃から目指してきた。って人材が中心なのだ。そんな部下への教育ならそれでいいのだ。同じ話をしているようで、同じ話を出来ていなかったことに気づいた。
ちなみにそのあと、悩みに対しては自分なりの解決策は見つけた。結果が先程書いた
【 ある程度のポテンシャルやモチベーションがない従業員には教育などできない 】
ポテンシャルなんてのは、教育できるもんでもないしね。モチベーションは意外にコントロールできる。方法は人それぞれだが、モチベーションを上げさせてから教育するのが正解である。
しかし、この時はそんな事はもうできない状況だった。仕事内容に不満。報酬に不満。かといって教育してあげる事も出来ないし、その2つの不満を解決してあげれない。
そんな状況では、モチベーションを上げる事なんかできないんだわね…
大企業が新卒の社員を選ぶときに、
【なぜわが社でないといけないのか?】
と聞くことが定番であることがわかった。初めましての人を選定いて必要な人材を選ばなければならないのだ。その人の熱意と入社後頑張る理由でも知りたいもんだなって思った。
つまり、自分の場合はその質問をした場合、
『 社員層が薄そうなんで出世しやすそうだからです 』
ぐらい生意気な事言ってくれても構わない。まぁ自意識過剰のくそ野郎でダメだった時すぐ辞めそうだから採用はしないけど。
それに、【 学歴 】ってのも大切なのは非常に共感できた。勉強なんて出来るやつの何が偉いんだ?とか思ってたがこの時わかった。
ちょっと出来るぐらいでは意味がない。人より少し勉強出来るやつは【 要領がいい 】か【 真面目なアホ 】か【 特徴無いやつ 】が大半を占めている。
ただ誰でも知っている有名大学を卒業している高学歴というのは全く別物だ。【 本当の天才 】か【 死ぬほど努力出来るやつ 】か【 頑張れる天才 】が大半を占めている。
【 やってもないやつ 】と【 やればできたやつ 】の違いなんだから、高学歴である方がいいよね?当然だよね?高学歴というだけでそこだけは判断できる。
人材は大切だ。大企業が採用のプロモーションにお金を使うのも納得ができる。人材が優秀でなければどうにもならないし、教育コストなんかも考えると採用にお金をかけるのは当然だ。
採用に力を入れないって事は【 雑草の種を買って、良い肥料を与えているのと一緒 】
良い肥料も大切だが、せっかくなら適切な種を育てたいもんだ。
c.一番大切なのは拡大のタイミングでの環境整備
本当に失敗したと思っているのは、拡大時の環境整備。勢いで拡大しちゃったから一気に勢いでなくなったってだけの話だわ。
人も失ったし、依頼も伸び悩んだ。
勢いでは何にもならないことを身に染みて感じた。
【 己の力不足 】【 教育環境の欠如 】【 人選に無関心 】失敗した理由は他にもいっぱいある。失敗すべくして失敗したって思う。
勘違いしてほしくはないのだが、この時は私を含めて元酒屋の店長と後輩の3人態勢のような形になっていたが、収支だけで見ると上手く行っていた。
売上も安定して、それなりに収入もあった。
拡大に失敗したものの、事業自体は継続していくことはできたのだ。これから3人で少しずつ積み上げながらちょっとずつ拡大していこうって思ったのがこの1年の集大成。
この年の年末は、何となく父親に会いたくなくて実家に帰るのをやめて一人で悲しい年末を迎えた。
もうすぐ30歳の誕生日にがくる悩める代表の事業2年目の年越しだった。

ってことで、2020年に突入するよ!
2019年は濃厚だったね。2019年の干支はカルボナーラだったかな?
って事で、もうすぐアレが来ますね。
アレです。イベント業界を始め、日本全土に激震に走らせたアレです。
クライマックスをお楽しみに!クライマックスの方がさっぱりしてそうだけど…

【 きっかけの話 】
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【 組織になる話 】
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【 苦悩する話 】
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