28歳で起業して会社を作った結果は?大成功とは言えない独立の話【 きっかけの話 】

かじ

 

ふくろう
ふくろう

前回は全体的に独立する前の会社員だった【 経歴 】と簡単に【 人柄 】【 得意な事 】とかを書いたけど、ここから独立の具体的な話になってくるよ!

 

☑本記事の内容

 

1.退職後はフリーター生活開始

2.大型イベントの運営スタッフ依頼

3.【 独立 】具体的に始まる個人事業の始まり

1.退職後はフリーター生活開始

 

前回では、退職した。退職の経緯は円満退社だったが、退職後に何をするかわかっていなかった。何をしていくか考え始めたのは、退社後だった。

退職から企業につながった時の話。

a.退職後1カ月の有給消化

 

普通に会社に勤めていれば、有給消化ってあると思いますが自分も当然ありました。が、実際は退職前の1カ月って非常に暇してました。

エリアを統括してたが、退職の1カ月前には後継人の選定も終わってたし、業務の引継ぎが必要な事も終わらせてました。会議に参加してあまり偉そうにもせずに、後継人と会議終了後に少しミューティングをしたり、人数が不足してるところにヘルプに入る程度。

この時期は本当に何もしていなかったかな。時代の流れでいうとビットコインが高騰して、暴落し始めた時ぐらいだったかな?自分には全く関係もないのに仮想通貨の動向を追ってみたり。

 

ある程度の権力を持ったまま放棄して過ごす会社員生活は、苦痛でもあった。善悪のはっきりしたことであれば、簡単に指導ができたりはするものの【 最良 】ってのに関しては別物だった。

個人差のある項目に関しては、ほとんど相手に伝えることは無くなった。感情を殺して勤務するのは楽しくはなかった。

苦しかったホテルのコック見習いをしていた頃は、辞めるのが決まった時から辞めるまでの時間は楽しいと感じていた。楽しかった会社を辞めるのが決まって辞めるまでの時間は苦痛だった。

何となく皮肉に感じていながら、最終勤務日を迎えることになった。

 

有給消化を始めたが、何もせずに家にいるのは性に合わない。何かしなければいけないなって思ってる時にある人に出会う。独立のきっかけにもなる大切な人でもある。

 

b.アルバイト先は突然に

 

ある時、仕事で街を歩いているとその人とたまたま会った。居酒屋で付き合いのあった酒屋の店長だった。話してみると、たまたまアルバイトを探していたんだと。

急な話だが、退職後は次やりたいことが見つかるまで酒屋でアルバイトをすることになった。急な退職もシフトの融通もなんでも自由にさせてくれるという。

まぁ今考えるとかなり面倒なアルバイトであると思う。前職の会社は飲食業で当時でも30店舗ほどは、その酒屋との付き合いがあった。その会社のエリア統括をしていたアルバイト。どう考えても不自然だったな。

 

このアルバイトをしている間はたくさんの出会いがあった。全く知らなかったお店もあったし、意外に権力のある経営者もいた。

住んでいたのは地方都市で、権力は弱くはなりつつあるが暴力団もあったし義理と人情で商売が成り立っているような街だった。住み心地は悪くはなかったが、もう2度と住むことは無いのかなって思ってる。

 

c.副業に手を出して、可もなく不可もなく

 

アルバイトを始めて1カ月の時間が経ったけど、なにかしなきゃなーって思ってました。この頃にアルバイトをしながら特に何も新しい事は始められずにくすぶってました。

とは言っても、アルバイト生活は楽だった。責任はないし、時間が経てば終わるし。

毎日暇だった。この頃副業にかなりの数手を出した。【 ブックメーカー 】【 バイナリー 】【 クラウドソーシング 】など。SNSの広告で見るような副業は大抵なんでも手を出した。
始めてサーバーとドメインからブログを書いたのもこの頃だった。

 

簡単に収支だけでいうと、プラスだった。もちろんクラウドソーシングはマイナスは無いし、今でも活用する。クラウドソーシングの記事も書いてるから気が向いたらどうぞ。

 

ブックメーカーやバイナリーは極端に言うとギャンブルではある。ある程度は勉強はした。

簡単にまとめると、ブックメーカーは勝率95%で1回の収支を1.01~1.05倍ぐらいになる勝負を繰り返す。広告で出ている商材は95%にする方法を教えてくれる。

具体的には、サッカーの国際試合でブラジルvsサウジアラビアの試合にブラジルに1万円賭けたとして500円増えていくってイメージ。

バイナリーは、勝率60%で1回の収支が1.90~1.95倍ぐらいになる勝負を繰り返す。これも広告では60%を作る方法を教えてくれる。

具体的には、30秒後~1分後に円高になるか円安になるかを当てるギャンブル。ブックメーカーよりは勝率が低いけど、1回の倍率が高いので収支も増えるしやりがいを感じやすかったかな。

ブックメーカーは、+5000円ぐらい。バイナリーは5万円ぐらい増えた。しかし、最高収支ではなかった。どちらももっとたくさんの収支は出ていたが、一気に減らすことになって辞めた。いくら勝率を上げたとしても、ギャンブルでしかないことに気づいてしまったから。

 

あと、前の会社の居酒屋のキャッチも個人事業で取り組んだかな?スタッフも使って、ある程度の稼ぎにはなったが自治体の流れと世の中の流れで職業には出来ないとはっきり分かった。

 

だから辞めた。

 

 

2.大型イベントの運営スタッフ依頼

 

いろんな副業やなんちゃって投資もしてきたが、大きなチャンスとなる依頼が入ってきた。今考えても運がいい。普通に生きていただけだから。

無から金銭を生み出せた。初めての事だった。そんな話。

 

a.アリーナイベントの依頼

 

この頃は、MLM(マルチレベルマーケティング)の熱烈な勧誘を受けている頃だった。はっきり言って内容は魅力的だった。今でも別に魅力的だと思ってる。ただ少し日本人には向いてないのかなって思ってる。

セミナーにも何回も行ったし、大成功してるお金持ちともたくさん時間を過ごした。けど、結局やらなかった。成功のイメージがあんまり湧かなかったから。あとやりたいと思ってなかったから。

この頃には、めちゃくちゃ知り合いが多かった。もともと社交的だったし、自らたくさんの人に出会いたいって思ってたから。

 

ある日、古い知人から連絡があった。『 まだあの会社に勤めてるの? 』ってだけ。この人は自分にとっては【 きっかけ 】だった。今までいろんな副業では、わかったことがある。

お金持ちか頭がぶっ飛んでるやつ以外は、基本的に【 初めは実業 】である必要がある。変に投資や経営とかはできない。やりたくても出来ない。これが一般的な普通ってこと。もちろん例外なく自分も普通だ。

話は戻るけど、話は簡単。

 

  • 来月アリーナのイベントで3日間30人ずつスタッフが必要
  • 報酬は1人13000円程度
  • スタッフへの給料の支払いは自己負担

 

要約するとこんな感じ。簡単だ。何度も言うが、自分は知り合いが多かった。これが初めてイベント業に片足を突っ込んだタイミング。もちろん「 OK 」と答えた。

そこから人集めは意外に大変だった。大学生を中心にキャッチ仲間や以前の居酒屋のバイトの子。紹介の紹介やSNSで募集したり。人集めにも報酬を出したりもした。

そんなこんなで、当日は全員の起床確認と点呼を済ませて何とかなった。人の入れ替わりがあったり欠員が出たり、運営自体は大したことない。寄せ集めの適当な人でも誰でもできる仕事だった。

 

この時の収支が、

30人 × 3日間 × 13000 = 1,170,000( 117万 )

1,170,000 - ( 日当10000 × 90人分 ) = 270,000( 27万円 )

 

諸々の経費や自分自身の日当なども含めて20万円ほど稼ぐことができた。人生で初めてだった。3日間で20万円の収入を得たのは事業ではないけど、CR花の慶次とパチスロキン肉マンぐらいだったし。

ここから、イベント業との付き合いが始まっていった。この時は独立の形ではなく、きっかけとなった人から依頼があったらやってるってだけ。

 

b.日常的なスタッフ管理のお小遣い稼ぎ

 

イベントの人に関しては、たくさん人材が必要だった。イベントって言っても、みんながイメージする大型イベントだけじゃない。ショッピングモールにある小さなブースだったり、ビラ配りなんかもあるし、イベント会場の設営なんかもあった。

自分が出勤してもいいんだけど、スタッフを探してスタッフに行かせる。たったこれだけで1人が1回行くと1500円~3000円になった。だいたい1回のイベントで必要なスタッフ数は3人~10人程度だったかな。

そのスタッフが毎週のように必要とされていた。自分は酒屋でアルバイトもしながら、週末はイベントに顔出したりスタッフをイベントに行かせてお金を振り込んだり。ただそれだけ。毎月の生活を支えるほどではないが、お小遣い稼ぎ程度にはなっていった。

ここからこの業種で、独立していく未来があんまり見えていなかった。もっとスタッフの単価を上げるか、もっとスタッフの数を増やして行かないと全然だめだな。って思っていながら気づいたら、もう季節は夏を過ぎようとしていた。

 

c.駐車場運営で大活躍と交渉難航

 

夏も終わり今となれば当然の知識でもあるんだけど、秋ってイベント業が繁忙期なんだよね。週末はもちろん平日もめちゃくちゃイベントにあふれてる。

運動の秋とかスポーツの秋、食欲の秋とか良く言ったもんで、屋外のイベントも屋内のイベントしかりものすごく多い。そんな時にきっかけになった人から好条件の依頼が来たんだよね。

 

  • 日給18000円  +  残業代
  • 交通費、宿泊費は全額支給
  • 12日間の連続勤務

 

今まで扱ってきた依頼と何となく毛色が違ったんだよね。それもそのはず。イベントスタッフって経験したことがある人がもいると思いますが、漠然と役職みたいなもんがあるんだよね。

上から【 運営統括 】【 ディレクター 】【 アシスタントディレクター 】【 スタッフ 】ってなっていくんだよね。代理店によっても変わって【 チーフ 】とか【 リーダー 】って役職を使う現場もあるけど。

その時の依頼は、【 ディレクター 】って役職での依頼だった。特になんも考えてなかったけど、通常の依頼よりは単価もいいし、2週間ぐらいでフリーターの月収ぐらいにもなるし。行ってみる事にした。

 

って事で、北陸地方に出張に行きました。仕事自体もあんまりピンときてなかったけど、【 駐車場の運営 】と漠然とした内容。観客やゲストを迎える大型のシャトルバスや提示バスの管理とかだったかね。

特に難しい仕事ではなかった。周りには自分より年上の人もたくさんいたし、経験豊富な人もたくさんいた。けど、何となくみんな大したことないなって思ってた。

ほぼ未経験だったけど、それなりに責任のあるポジションを任せられることになった。多少無理のある運営でもあったが何とかなった。後から聞いてびっくりしたけど、それなりに難しい現場だったんだと。誰でも出来るような仕事ではなかったと聞いた。

 

その話は一旦置いておいて、勤務が始まって6日目ぐらいかな?きっかけの人から連絡があった。まとめると、『 残業代の 金額で揉めている 』って話だった。自分は「 自分は揉めなくてもいいよ 」って言った。揉めてる金額も日額1500円ぐらいで揉めてたみたいだった。

現場には揉めている会社の人がいた。実は、その人はその後に自分を独立させた人と言っても過言ではない。その人には「 自分は揉めないでいい 」と言っていることを伝えていた。今考えると少し卑怯かな?とも思う。

正直、一緒に働いてる人がいるのに、外野で1日1500円ぐらいで揉めないでほしかったし、その人とはその現場で仲良くなった。日常的に談笑もしたし、仕事でも協力し合った。勝手にだけど友達みたいに思ってた。取引先なんだけどね。

9日目とか後半になって、『 きっかけの人とは今後付き合いを無くす 』と伝えられた。のと同時に『 あなたとは付き合いがしたい。個人的に付き合ってくれないか? 』って言われた。

それまで、何も考えていなかったが自分がものすごくひどい事をしてるような気がしてしまった。しかし、自分が必要とされるのは悪い気分はしない。付き合いをしていくことに決まった。

 

これが、人生で初めて【 請求書を作成して収入を得る 】という生活の始まりとなる。個人事業としての始まり。多くの独立や企業を目指す人からすると思ってたんと違うな?って思うと思うけど、基本的に資産をつぎ込むのでなければ、どんな事業でも小さな個人事業から始まるものだ。

 

やっぱり自分は運がいい。

 

3.【 独立 】具体的に始まる個人事業の始まり

 

具体的に取引が始まるのも早かった。駐車場の運営が終わって次の月の話だった。いろんな仕事が舞い込んできた。毎週毎週いろんなイベントで勤務した。どんな仕事が来ようとも文句言わず参加していった。金額も高かった。今までと比べて1.5倍~2倍程度はあったから。

なんといっても自分を求めてくれた。『 優秀だ 』とか『 信頼ができる 』とは。お世辞ぐらいわかった。サラリーマン生活もしてきたし、感覚的に【 良い嘘 】であることぐらいわかってた。けど、嬉しかった。

 

a.個人事業主の始まり

 

その時、出会ったその人とはいろんな仕事に2人で行ったりした。飯を食いに行ったりもした。評価もしてもらえる。高額も出してもらえる。別に不満はなかった。しかし、大きく変わったのが今までの依頼との付き合いだった。

この頃は、アルバイトをしながらスタッフを紹介するという生活をしていた。収入はサラリーマンの残業がある生活ぐらいの収入だったかな。今までの依頼に関しては、何となく続けていたが面倒になってしまった。

どうしても金額が低く見えてきてしまった。今考えるとその付き合いの方が大事にしていけばよかったかな。自分が未熟であったんだなって身に染みたのは、それからずっと後の話。

それから年末までは忙しかった。誰も紹介せずに、自分一人で働いていても同じような収入だった。自分が働いた方が楽だった。紹介するには、【 キャスティング 】【 前日確認 】【 当日起床確認 】【 点呼 】【 給料の支払い 】って仕事が付いてくる。

ほとんどの動作は【 line 】を使って行っていた。まぁ時代的にもオーソドックスな手法だが、落ち度はあった。一番恐ろしいのが、【 未読無視 】である。一昔前なら、電話やメールだと思うが電話の折り返しが無いというのと【 未読無視 】はほとんど同じ状況である。一時的な音信不通である。

多くの大学生の【 連絡の重要性 】とは価値観が合わない。当然ではあるが、こんな仕事をしているとそこと付き合っていかなければならないので、非常にストレスでもある。

そんなことを考えると自分で働くだけで、同じ収入ってのがどれだけ楽だったか。自分はある程度大人だし寝坊はしない。連絡もまめに返す。給料の支払いも必要ない。非常に楽だった。

 

b.キャラバンツアーのクルーに参加

 

年を越す前に、大型のキャラバンツアーイベントのスタッフで選ばれた。今考えると選ばれたというとよりは他にいなかっただけかな。まぁいいんだ。仕事があるってだけでいい。

12月頭から始まってから3月頭までに週末を中心に9現場に連続で参加させてもらうって話だった。正直楽しみだった。毎週のように他県に出張させてもらった。その時になるといろんな人と仲良くなっていった。

一番仲良くなったのは、この業界に引き込んでくれた人。もちろん取引先の人だ。

いろんな話もした。たくさんお酒も飲んだ。年齢は2個下だったし、取引先とは言え兄弟みたいだった本当にいろいろ楽しかった。前の職場の仲間にも会えたし、楽しかった。ただ、みんな心配していた。『 今何してるんだ? 』って。その度に「 儲かってる 」と強がっていた。

このイベントは特殊でもあった。今まで参加したイベントの中でも一番大きかった。地方都市と東京のイベントの大きさに驚いたのが本音でもある。世界的なイベントに伴うイベントといっても過言ではないほどだった。

キャラバンツアーを終えるころには、いろんな人と仲良くなってもいた。コミュニケーションが得意であることもあったので、いろんな人とも話したしチームで動いている事も何となく楽しかった。

 

この頃は少し暇を持て余してたりもした。年末までは忙しいのだが年始は非常に仕事の量が少ないのもこの時に知った。

結構暇を持て余していたりもしたのだが、この時は他の仕事をしようとかは考えてもいなかった。イベントスタッフの仕事を探してたりしていた。この時に何か収益を確保できるようなことに個人に投資していれば、違った人生もあっただろう。

 

c.各種大型イベントで気付きと拡大化

 

閑散期を抜け3月ぐらいから、たくさんの依頼をもらうようになっていった。この頃だったかな。

この事業に興味を持った人が具体的に動き出した。

自分の退職後にすぐに働いた酒屋の店長だった。それ以前からスタッフのキャスティングやイベント事業には片足を突っ込んでくれていた。キャスティングが上手くいっていない時には、酒屋のバイトを貸してくれた。

それ以前にも、バイナリーやブックメーカーの時にも興味を持ってたくさん話した。

 

彼は天才だった。漠然と人物像だけでも書くと、20代前半の男性。かなり弱年齢で店長になっていただけのことはあるが、ちゃんとしていた。めんどくさがらずに仕事はほとんどミスなくこなす。

言われる前に言われそうなことをやる。ってだけでも20代前半では難しい話でもある。そんなことなと思っている人が、いるのであればあなたも天才だと思う。レベル低い世界と思えるかもしれないが、事実でも若年者はレベルが低いに決まってる。だから若年者なのだから。

そんな彼が仕事を辞めて一緒に仕事をしていきたいと言ってくれた。嬉しかったが不安もあった。まずは、養って上げれるのか?って事だよね。正直少し不安ではあったが、何となく断ると後戻りも出来ない状況になってしまうのではないかなって思った。理由はわからない。

という事で、一緒に頑張ると決めた。この時点で、ある意味では運命共同体のようなものだった。

 

 さらに不安だったは、この頃にはこの業種の規模感と自分の立ち位置に気付き始めていた。多くのイベントは、トップの2つの会社が存在する。

【 主催者 】【 広告代理店】の2つだ。基本的に主催者は企業だ。広告代理店はイベントを組み立ててくれる会社で、日本の大手は電通だったり博報堂だったり。広告代理店に企業から依頼が入り全ての仲介に入ることで、仕事を回していくのだ。

例えばA社が1000万円の仕事をB社に800万円で依頼することで、200万円儲かっているみたいな世界だ。

そこで、イベントには大きなもので5~10社ほどの孫請け( 外注 )が発生している。広告代理店が広告代理店に発注し、その代理店が設備会社に外注したり、デザイン会社に外注したり。

運営面の台本の作成を外注したり、運営依頼を受けた代理店がキャスティングのみをしてくれる会社に外注したり。わかりやすく噛みほぐして【 S~Cランク 】に分けると

 

Sランク
企業からの依頼も多く、大規模なイベントを毎年運営している企業

Aランク
企業からの依頼もあるが、広告代理店の依頼も多い企業

Bランク
広告代理店の依頼が中心の企業。基本的にその多くは子会社であることが多い。

Cランク
キャスティングのみの依頼が中心だったり、音響や照明のみの依頼が中心の企業。

 

簡単に言うとこんな感じ。果てしないほど下には下がいるほどのランク社会である。当然だがSランクに近い距離間で外注を受ける方が良い。どの会社も手数料代わりに金額を抜いてからの発注にはなるので。

そこで自分の立ち位置は、Cランクの会社の外注先の下請けの個人事業主である。といった状況だったこのままではだめなんだろうな。って思っていたところだった。

このままでは、低単価の仕事を数をこなす【 薄利多売 】といった手法にはなるのだが、ぶっちゃけどっちでもいいと言えばどっちでもいい。しかし、出来る限り薄利ではない方が良いに決まってる。

どうしたものか?人が増えるってだけで、単純に大変なのに。この先利益を増やして行くためにはどうすれば…

 

ふくろう
ふくろう

ってところで、今回は独立したところまでだよ!

思ったより壮絶だったり、絶望だったりはしなかったかな?大体そんなもんだよ!みんな過去のことを誇張したり、苦労した話を美化したりしてると思うな。

たくさんチャレンジしてる人は、その分苦労もしてるのはわかるけどね!私はあまり大きなチャレンジは出来てなかったんだ…

 

 

 

 

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